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バスクへの道

2018.05.10

スペイン・ポルトガル

この春、念願かなってスペインとポルトガルを訪れることができました。マドリッドを起点に時計回りでポルトガルから海沿いを北上し、バスクに向かうという旅程です。スペインに行くなら隣のポルトガルへも足を伸ばしたい、港町で魚介類を食べたい、何よりもバスク地方を訪れたいという数々の欲望をもれなく満足させるとこんなルートになった訳です。そんな中でいくつか印象的だった町や食べ物を紹介したいと思います。

〈メリダ〉
メリダは2000年ほど前のローマ時代に造られたアーチの石橋が架かり、石壁の巡る城塞都市の面影が残る町です。スペインが位置するイベリア半島はヨーロッパの西端に当たり、ローマ帝国の支配・西ゴート族の侵入・アフリカ大陸からのイスラム教の進出など様々な文化の波が折り重なった土地で、その痕跡が遺跡にも色濃く残されています。ローマ帝国の影響として、円形闘技場や劇場も見られます。学生の頃に教科書で習った出来事を実際に感じることができる素晴らしい場所でした。

バスクへの道

〈リスボン〉
大航海時代の華々しいイメージと違って、現在のリスボンにはどことなくノスタルジックな印象を持っていました。アルファマと呼ばれる旧市街は小高い丘にあり、その頂上にはサンホルヘ城がそびえています。道は石畳で狭く、その両側は家が壁のように連なっています。驚くのはその狭い道を路面電車が走り、車が通り、人が往来するという雑然とした様相を呈していること。路面電車と車がかち合って、どうにもいかなくなることがたまにあるものの、そこは車が譲ってなんとかなっているようです。夜になるとオレンジ色のライトが灯り、石畳や路面電車をやさしく照らし出します。また、ポルトガル北部の町、ポルトでは川面に街灯が映り込んで一層きれいな夜景が広がっていました。

バスクへの道

〈バスク地方〉
バスク地方とは、独自の文化を持つバスク人が多く住んでいる、スペインとフランスにまたがる地域のことで、バスク語ではEuskal Herria(エウスカルエリア)と呼ばれています。今回の旅行をきっかけに、意外と日本とも馴染みが深いことを知りました。キリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルがバスク出身であったり、バスクに由来する捕鯨の技術がアメリカに渡り、その捕鯨船の水や燃料の補給が必要となったことで、ペリーが浦賀へ来航するきっかけにもなっています。いずれも日本の歴史にとっては大きな出来事だと言えます。

前置きはさておき、このバスク、何が素敵かと言えば、食べ物がとてもおいしいのです。日本でもスパニッシュレストランでタパスという小皿料理が有名ですが、その元となったのが、パンの上に肉や魚やチーズを載せたピンチョスと呼ばれる食べ物です。バーのカウンターの上に色々な種類のピンチョスがところ狭しと並べられ、自分の好きな物を選んで食べられるようになっています。チャコリという地元の白ワインと一緒に頂くと、自然と笑顔になってしまうようなおいしさです。カウンターの中にいる店員さんは、フロアに溢れかえっている客からのひっきりなしの注文に動きっぱなし。店によっては注文をメモする暇もないほどで、お勘定の時に何を食べたかをこちらに聞いてくるのには少し困りました。

バスクへの道

マドリッドへ戻る車窓から、広い牧草地でのどかに群れている牛や羊を見るにつけ、ここで食べるハムやチーズのおいしい理由が分かるような気がしました。バルセロナやマラガなど、まだまだ行ったことのない場所は多いけれど、次に行く時には、暖かい季節に(今回は気温が10度前後で寒かった)バスクでゆっくりと過ごせたらなと早くも計画しています。

( Y )